Things ain’t what they used to be

「昔は良かったね」と訳されるデューク・エリントンのジャズの曲。私の楽器の傾向は笑ってしまうほど、ほとんど昔のやり方に戻している。(笑ってすますというよりは、なにかを示唆していると考えた方が良いのかもしれない。)

弦は金属弦からガット弦へ。

弓はジャーマン弓からフレンチ弓へ。

弓のフロッグは金属補強からオープンフロッグへ。

ナットとサドルは黒檀から象牙へ。

テールワイヤーはスティールから繊維へ。

テールワイヤーをエンドピンでなく、独自のピンで繋ぐ。

エンドピンは金属から木へ。

増幅はピックアップからエアーマイクへ。

私はコントラバスを「倍音」楽器として捉えている。多くの倍音・雑音を含み、空間を満たすような感じと言ったらいいか。そしてその方向が昔のコントラバスのあり方だったと推測する。今の傾向は、くっきり・ハッキリ・無理なく・大きな音。極端に言ってみれば大型のチェロを目指していると言える。

カラヤン/ベルリンフィルのコントラバスセクションは金属弦のソロ弦(普通の弦より細い)を張っていたと聞く。そうすると、ヴァイオリン・ヴィオラ・チェロと一体となってあたかも均一で巨大な弦楽音群となると推測する。そもそもヴァイオリン族とは出自の違うコントラバスを同じ部族に編入させるためには有効な弦の選択だったのだろう。

たまに現代音楽の新作を演奏することがあると、だいたい作曲家は生のガット弦からすくなくともガット弦の金属巻きにして欲しいと言う。音程感が違うと言う。一つの音程をくっきり出して欲しいと言う。それは倍音・雑音の少ない音と言うことだ。ガット弦は(弾きにくい/ヘタに聞こえる、音が小さい、値段が高い)。唯一の良いところは音質。

金属弦になったのはほんの第二次大戦後のこと。19世紀初頭のシューベルトの「鱒」などを響きの良いところで演奏すると、チェロ・ヴィオラ・ヴァイオリン・ピアノすべてを包み込んでぐいぐいと演奏できる。ドラムスという装置を使わずに展開していったタンゴでは、ガット弦がとても有効。

演奏者も聴く側も、静かなところで、耳をすまして、じっくり聴くという事が必要な状況だろう。「私はここよ」「私をお聴き」という傾向とは逆行する。「こんなに小さな音を出しているけど、聴こえる?」「あっ、音が無くなってしまったけど、聴こえる?」という傾向。

「聴く」ことは止まって「待つ」こと。「待つ」ことは他者と自分を「信じる」こと。

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