レポート

今回、旅費などを助成してくれたEUジャパンフェスタ日本委員会にレポートを書来ました。これでなんとか気持ちの区切りが出来たよう。ちょっと長いけれど添付します。

「今・ここ・私」                                齋藤徹

「今・ここ・私」。「今」も「ここ」も「私」もあらためて考えると結構あやしい。ただ流されているだけのような気がする。では逆から考える。「今」でなければ「ここ」でなければ「私」でなければ出来ないこととは何?

それを指標にした。「今・ここ・私」度の高いことをやる。少なくとも目指す。そうすることで迷いのない道を進むことが出来ると夢見る。まず、「流されるまま」ではいけない。流れに逆らい立ち止まる。その瞬間に「今・ここ・私」が現れる。それをはっきり確かめた後、再び流れに身を任せる。これが方法だ。

今回のメンバーはそんな考えを共有できるキャリア30 年超の「オトナ」の表現者だ。アストル・ピアソラの音楽を忠実に再現するには、バンドネオンとコントラバスにピアノ・ヴァイオリン・ギターが必須だ。それぞれが複雑に絡み合うところに彼の作品の妙がある。しかし今回は二人だけ。足りない部分をマイナスとは考えず、閃きのきっかけにする。タンゴダンスは男女ペアが鉄則だが今回は男のソロ。これも欠損と考えずチャンスと考える。この3人でしかできないことを突き詰めるチャンスと。

例えば、お寺では劇場の照明は期待できない。野崎観音で、開演後に舞台が少し暗い事に気がつく。すぐさまロウソクを用意するなど工夫する。聴衆も我先に手伝ってくれる。調整中はジャンやオリヴィエへのインタビューで場を繋ぎ、それを分かってくれている聴衆も場を盛り上げてくれる。(お寺は、地域の文化情報センターなのだ。)作り込んだ作品をどこでも同じレベルで再現するという考えを止め、そこでなければ出来ない事を楽しむ。聴衆も一緒に舞台を創る。そんなツアーを目指した。 

乾千恵さんが敬愛するピアソラの音楽を元に一年に一枚のペースで渾身の絵を描き、エッセイを書き、コピーを親しい人に送った。障害を持つ彼女は絵筆さえ握れない時期も長かったと聞く。その一つが司修さんの目にとまり本が出版された。乾千恵の画文集「七つのピアソラ」(岩波書店)だ。その出版記念としてこのプロジェクトが始まった。

あらゆる音楽には動機があり、歴史があり、願いがある。「素材」の一つではありえない。エンターテイメントやショービジネスばかりではない。ドイツで生まれたバンドネオンがイタリア人・スペイン人達によってアルゼンチンに持ち込まれ、アフリカのリズムの影響を受けて「タンゴ」が生まれた。故郷を求めてさまようというトラウマを持っている。また、アルゼンチンでは日本での想像を遙かに超える『誇り』をもってタンゴは演奏されている。ピアソラを流行の一つとして「消費」している昨今の傾向に対してNO!と言いたかった。

オリヴィエは生粋のフランス人。ブエノス・アイレス訛りのスペイン語を完璧にマスター、タンゴの歌を諳んじていてそれを演奏の元にしている。大切なことだ。バンドネオン修理・調律はアルゼンチン人演奏家からも絶大な信頼を寄せられている。タンゴの知識も膨大で、ブエノス・アイレスのタンゴ・アカデミーでレクチャーコンサートさえしている。

日本にも、邦楽や古典に驚くほど造詣の深い外国人がいる。オリヴィエもしかり。しかし自立したフランス人音楽家として、アルゼンチン人になりすます気はない。モーリス・ベジャールバレエ団の「ドン・キホーテとバンドネオン」という演目の音楽を担当し世界中を回った時、ブエノス・アイレス公演では客席最前列に名だたるバンドネオン奏者が腕組みをして並んでいた。そんな中、オリヴィエ一人が舞台に現れオープニングソロ。まさに「今・ここ・私」が強烈に問われる場面だ。彼はそんな経験をいくつも持っている。

タンゴ「異邦人」にとっては、なぜ、自分が「今・ここで」バンドネオンでタンゴを弾いているかを日々検証しながら生きるしかない。私のコントラバスにしても同じだ。極東の島国でコントラバスを弾いている自分への検証を怠ってはならない。「なぜ今、なぜここで、なぜ私が」?その問いの強度が新たな窓を開く。

各会場に到着し準備が一段落済むと、ジャンは各会場のスタッフを呼び込んで「ジャン体操」をした。ジャン独自の体操で、参加者のレベルと空き時間に合わせて日本語でやってくれた。終わると自然に拍手が起こり、何とも言えない連帯感が生まれる。表方と裏方の差も消える。ジャンは本格タンゴダンスを踊るタンゴ愛好者だ。ピナ・バウシュ舞踊団での演目『バンドネオン』には毎回参加している。そんな彼が、世界初のタンゴ・ソロダンスを見事に確立していった。

今回、取り上げたピアソラの楽曲は1950 年代パリで作曲されたものが多い。クラシック作曲家になろうとしていた彼が師ナディア・ブーランジェに出会い、自らのルーツであるタンゴに回帰したターニングポイントだった。そのエピソードも今回のプロジェクトに相応しい。「今・ここ・私」をつきつめていくと、ありのままの自分を投げ出すしかなくなる。そこで、自らがトンネルとなり膨大な記憶が流れ出す。それは洋の東西を超えてシェア出来るものだろうし、それが自分の「発見」へ繋がる。個と普遍・ミクロとマクロが交錯する。

乾千恵さんは障害の中、楽しく強く生きている。一月にはブエノス・アイレスを訪ね、ピアソラの墓前にこのプロジェクトを報告してきたという。毎回彼女の書や絵を会場に飾った。清々しい気が会場に満ちる。会場への階段一段一段が死活問題なのに計8 回、会場に足を運んでくれた。トイレがあてにならない時は、朝から『水断ち』をして来る。生きる事を直視せざるを得ない日常は、ぶれない視点と強烈な願いを彼女に与えている。彼女の『今・ここ・私』こそ最優秀の見本だ。過剰な情報にアップアップして自分を見失うのではなく、「今・ここ」で何が大事かを単純に見極めること。そういう目で素直に見れば、世の中は奇跡と美と愛に満ちている、そんなことさえ感じることが出来た。

ある会話の中でジャンが言った。「日本にはまだ『理想』が生きているからこういうプロジェクトが成り立つ。ヨーロッパは、あまりにプラクティカルになりすぎていて・・・・。」「日本」の『今・ここ・私』は何?

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