ミュージシャン同士で話していると、よく楽器と人、の話になる。ベースを選んだ人はもともと〜な性格で、ずっとベースを弾いて生活していると、ますます〜になる、と言うような話。オリヴィエとバンドネオンも不思議な関係だ。
バンドネオンという楽器も、弾く人間もロコだ(気が狂っている)、とピアソラがよく言っていた。オリヴィエの人生もかなり変だ。子供の頃、夏三ヶ月はロマ(ジプシー)と暮らす。エリート音楽家になった兄フィリップ(ピエール・ブーレーズから「私の音楽の息子」と呼ばれている)と全く違い芸術大学で絵画や彫刻を習った。その後、メトロでバクパイプも吹くし、楽器製造、修理を6年もやる。そして中古楽器屋でバンドネオンを購入。パリのストリートで弾く。ある日、市場で弾いていると、「今、お金を使い果たしちゃったのであげられないけど、これからパーティがあるんだ。来ないか?」と言われついて行く、そこにいたのがオラシオ・フェレールとファン・ホセ・モサリーニ。それ以来、二人とは深く繋がる。(特にオラシオ・フェレール)
その後、ストリートで、リベルテーラにも会い、ミュージシャン仲間での紹介の輪が広がる、と言った具合だ。当時有名なタンゴ劇場があったせいもあり、頻繁にブエノスのタンゴミュージシャンがパリにいた。彼の奥さんはアイスランド出身のクラシックピアニストで家にピアノがあるので、セステート・マジョールなどはいつも彼の家でリハーサルをしていたそうだ。キチョの日常など興味深く聞いた。
ピアソラの評伝本にでていたくだりを聞くと、「そうそう、ピアソラがリヨンでバンドネオンを壊してしまい、ラウラさんが私の所に修理の依頼にきたんだ。壊れたところだけでなく全部丁寧にチェックし調整したんだ。後で何言われるかわからないしね。見てみるとすごく酷い状態だったし、中はほこりだらけ。ビックリしたよ。彼が修理を喜んでくれたようなので嬉しかった。」
バンドネオンがドイツの地方の教会で使われていたという話は、エピソードとしておもしろいからみんなが(特にピアソラが)言うようになったのではないか、と教えてくれる。実際は、ドイツの地方都市で踊りの伴奏として使っていたコンセルティーナが、こんな音もほしい、あんな音もほしい、ということでどんどんボタンが増えていって、押し・引きで音も違ってきて、手のつけられない状態になってしまったのが今のディアトニック・バンドネオンではないか、という。四つの楽器を(右手、左手、押し、引き)一辺に弾かねばならない、そりゃロコになるよ、ということ。ちなみにオリヴィエはクロマティック・バンドネオンなので多少楽だ。彼は独自の低いGの音を1つ付け足している。それほど自由な楽器だとは知らなかった。
午後から夜まで、高場さん峰さんとリハーサルをする。オリヴィエは全部の曲を知っているばかりでなく、全部の歌詞を知っている。歌詞を頭で歌いながらフレーズを作っていくので、アルゼンチンタンゴ独特の節回しになるという。峰さんのフレージングをビックリしていた。スペイン語を日常的にしゃべっているフレーズに聞こえるというのだ。いいぞいいぞ。リハ中時々、曲の進展に詰まると、オリヴィエ、峰さん、高場さんと三人で歌いながら(がなりながら?)進める。いかにも楽しそうだ。あ〜やっぱり私は部外者なのかなと思ってしまう瞬間だった。