高田和子さん追悼ライブ

音楽は何のために?と問う弟子(マラン・マレ)に師(サン・コロンブ)が答えます。
「死者への贈り物と?
そのとおりだ。
言葉なき者達へのささやかな慰めと?
子供らの影に
靴屋の槌の音を和らげるものに
世に出ることのなかった胎児たちに捧げるものと。」
パスカル・キニャール作、アラン・コルノー監督の映画「めぐり逢う朝」の最後の場面です。

昨日、高田和子さんの追悼ライブがありました。7/18に亡くなってからだいぶ立ちます。本来ならば誕生日お祝いだったこの日。

この間、私は2回北海道に行きました。7月に旭川を訪れた時に提案した一弦楽器ワークショップの発表を終え帰京して2日後このライブ。高田さんも一緒だったかもしれないこのソロツアーで、毎回、何曲か高田さんを思って演奏しました。そんなこともあって、昨日のライブで7月から続いていた何かがやっと終わった気がしました。映写されたDVDでのビオレッタ・パラの「天使のリン」の歌詞「死んだら魂はどこへ行くの?」という高田さんの声が今日もまたリフレインして私の中で響いています。

私の演奏は、高橋悠治さんという尊敬するスケールの大きな音楽家とのデュオだったので、何も考えることもなく大仏の掌で自由に遊ばせてもらった感じでした。北海道から持ち帰った柳の枝(砂澤ビッキさんの方法で皮をむいたもの)で弾いたり、彼女のために作った曲の部分をしのばせたり。沈痛な追悼曲というよりは、明るく飛び回り、鳥のように歌い、高田さんが笑って喜んでくれるようなものになりました。よかったよかった。知り合いが「あの枝は北海道のでしょう?」と言ったのには驚きました。なぜわかったの?

昨年同時期の北海道ソロツアーでは、大成瓢吉さんの闘病と帰京後すぐの死があり、今回ツアー中に井野信義さんのご母堂さまの死。北海道ツアーはなぜか生と死に直結することがついて回ります。考えてみれば人間には生と死しかないのですよね。

「かたるべ」でのライブペインティングセッションで、我が師テッチさんが演奏後のインタビューで「平和と命のために描きました。他に何があるでしょう?」と答えていたことと符合します。

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