フランス旅(4)
ずいぶん経ってしまいましたが、フランス紀行が終わって無いことに気づきました。気づかせてくれたのが乾千恵さん。彼女の書をモチーフにした芝居仕立てのパフォーマンスが30日にあり、リハーサルを進めています。短くても良いから千恵さんのバール宅訪問は書いておきたかったので簡単に書きますね。
そう、フランスツアー最後のプジョービルに乾一家が来たのです。マドリッドでゲルニカを観て、長年の願いだったガウディ詣でをバルセロナで果たし(外尾悦郎さんの案内という最高のガイド付き)、地中海沿いを鉄路でモンペリエ乗り換えでプジョービルに到着。車椅子での旅はいろいろの苦労があったはず。そんなことは当然、とでも言うように元気にB&Bで待っていてくれました。
私とバールはボルドーから車でプジョービルに向かう。良い感じでツアーをこなしながら昼間によしなしごとを話すのは楽しい。ユービー・ブレークが100歳まで演奏していたとか、ローランド・カークは半身不随でも演奏していたとか、カズオ・オオノは車椅子で腕を上げるだけの踊りをしているらしいじゃないかとか。表現者の引き際の話になった。こういう話をバールから聞くとドキッとする。引き際を考えているのだろうかと勘ぐってしまう。自分の身体のことを言うのではないが、ベーシストは長年身体に悪い姿勢で仕事をしているし、ベースを弾くこと自体が体力を要す。右半身と左半身のバランスが極端に悪いのだ。演奏中は、首から背骨の線が「かつらがわ」のようにくねくねしている。右と左のアンバランスは良いことではない。
「今回のような演奏を続けていると、ベーシストはやめられないね。」の一言で救われた。バールを人生の達人と思うのはこういうときだ。
ともかく無事再会を果たすと、バール夫妻が近所のレストランを予約してくれていたので、そこへ直行。「七つのピアソラ」「馬」の書のリトグラフ、野崎観音から梅干しをおみやげに持ってきた乾家。さぞや重かったでしょう。「七つのピアソラ」のこのあたりにバールのことが出ているよ、とか楽しいひととき↓
翌日は隣町のブリグノールの市場へ。週1回午前中ここで市が立つ。乾家の皆さんもこういう雰囲気がお好きなようで堪能している。豚の丸焼きと兄妹↓
夜、私のソロ、そして最後のデュオ演奏。一ヶ月の感謝の気持ちを込めて演奏できた。翌朝にバールの治療(千恵さんは人を治すチカラを持っている。)↓
をすませると千恵さん遂にサンフィロメンへ。石に特別な思いを持つ千恵さんは、バールが1000年前の教会に住んでいると言う話を聞いた途端に、訪れることを夢見た。それがこんなに早く実現。しかも誕生日付き。
教会へむかうが、階段の一段が命がけの生活を初めて目の当たりにする。楽器を持って電車で移動するときなどさぞや身障者は大変だろうと思うことがあるが、そんなものではない。桁違いのキビシイ日常なのだ。しかし千恵さんはなんのそので教会へ入る。ひんやりとして、清々しい空気に満ちている。サン・フィロメンの説明をしたり、教会内の響きを活かしてバールが即興でハミング。私も参加。千恵さんの顔が喜びに満ちている。長兄・次兄・末妹がこの場で会えている不思議と感謝。こういう瞬間を一つでももてる幸せ。今後の人生でもそういう瞬間がひとつでも多くあればすばらしいだろうし、そのために人は生きるのかもしれない。
隣の住居へ移動して誕生会。ハッピーバースデイを歌ったり、プレゼント交換、昨日の市場で買ったものを使ったごちそう、おきまりの事があらためて楽しい。バールはちゃんと簡易トイレを用意してくれている。さすが。そして、いかなる困難も受け入れて行きたいところに行く乾千恵さんの行動力とご家族の愛情には脱帽するのみ。30日の「いずるば」にも大阪からわざわざ出向いてくれる予定だそうだ。