バールさんから

ラジオ・フランス続報:バールさんからのメールによると、ジョエル・レアンドルが署名を持って番組担当ボスに会いに行ったということ。アンヌさんも少し好感触を得ているそうだ。楽観はできないが、良い報告を待ちたい。

シャガールと楽器の話はもう一つ逸話がある。あの楽器はバールさんがパリ・オペラで演奏していたときに、「この楽器を弾いてください」という匿名の人から譲り受けたという。そう言えば、パリ・オペラの天井画はシャガール!だよね。

ある朝、バール宅の居間のCD棚(ここには世界中からのベースCDがゴチャマンとある)を見ていたら「ジミー・ジェフリー/ドン・フリードマン/バール・フィリップス」というCD-Rを発見。二人で聴いた。ほとんどインプロ。「離婚後一切の財産を無くしたジミーがフリーに傾倒していったんだ。彼はほんとうの天才の一人だ。」ヨーロッパ各地でも「フォア・ブラザーズ」のような曲をやると期待している大聴衆の前で堂々と3人でフリーをやっていったそうだ。「ひっこめ、黒人を出せ」との大ブーイング(もう一組がアート・ブレーキーバンド、そこにいたジョン・ギルモアは本当にすばらしかったそうだ。)にも決してめげなかった・・・

話はいろいろな方向に進む。ドン・エリスが当時どれほど大きな影響力があったか、とか、ジョージ・ラッセルのグループにいた時、リディアンのこと知らなかったし、知らなくても良かった、とか、ピーター・ネロがいかにすばらしいピアニストだとか、日本のジャズ話には全く出てこないだろう。

ボルドーでのベースデュオの開演前、ミンガスのCDが流れていた。ドルフィーがいたころの名盤だ。私は、安物の針でレコード盤が傷むまで聴いたものだ。それをバールは知らない。ミンガスとの接点あった?と聞くと、ニューヨークではすぐ近くに住んでいて、子供同士は同じ学校に通っていて互いの家を行き来していた!ということ。ジュリアードをでて今「フリーダンス」というグループを率いているベーシスト、デヴィッド・フィリップスと、ミンガスのドキュメント映像でベースを弾き語りしていた彼のことか。ドルフィーとは?と聞くと、彼は本当にいい人だった、ガンサー・シュラーのカーネギーコンサート(enja盤のライブだろう)で一緒だったとき、ニューヨークに馴れないバールが大遅刻をしてしまった時も一番気を遣ってくれたそうだ。

ミンガスとは、近所の公園で親子同士で会うこともあったという。ミンガスは機嫌悪いと「俺はおまえのことはよく知っている。おまえらのせいで黒人ベーシストの仕事が無くなるんだ」と怒り出したり、かと思うと家族同士で安い中華レストランに行くときはとても機嫌が良かったとか・・・想像するだけで楽しくなりますね。

バールの話を聞き書きすれば、希有な本ができるだろうな~。

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