シンガポール便り その2

今日もザイと出かけ、飲食をともにした。アラブ人街、インド人街、マレー人街、マイノリティになってしまった彼らの街並は、とても居心地がよい。匂いも良い。香りというより匂いだ。アジアだな~という感じ。このホテルとコンサート会場を往復(といっても道を挟んで向かいにあるだけだ)しているだけでは、全くわからない。今日行ったのは「ババ」と呼ばれる人たちがいた地域。かつてマレー人の王様と結婚した中国人王妃が500人の使用人を連れてきた。マレー語を使うことと言う条件だったそうだ。その人達の子孫は、マレー人にも中国人にも差別されてきたが、力をつけ商売などで活躍している。ザイの母方がそうだ。また、いまやシンガポール1の規模の劇団シアターワークスのオン・ケンセン(岸田理生が亡くなる前に何回かコラボレートした)もそうと聞く。

今日、一緒に食事をしたもう一人の友人の家は、中国共産党、赤軍の流れ。マレーシアに住んでいたが、シンガポールに移住したそうだ。皆、それぞれ多様な歴史と物語をもって今ここに座っている。一方、日本人である私はどうだ?一件安定期が長く物語が無いように見えるが、遡っていけば色々あるはず。明治維新以後の各戦争の時、どこで何をしていたか?その前は?太陽の日差しで肌が黒くならない私は、きっと北から来たのだろう。それはシベリアか、モンゴルか?

今日のザイとのトピックは、「待つ」ことは「聴く」こと。私の長い課題だ。待てるか、ということは、聴けるか、と同意。聴くためには、停まらなければならない。見る、ことは停まらなくてもできる。観るためには停まる必要があるが。

クラシック音楽のアンサンブルをするにも、ジャズの合奏でも聴くこと・待つことが必要だ。待てないミュージシャンは聴くこともできない。待てないのは、共演者を信じていないからかもしれない。とすると、待つこと、聴くこと、信じることはどこかで繋がっている。これらのことが今、とても必要ではないか。

ジャズからでてきたフリーフォームジャズ、そしてアメリカ文化になんらかの別案を述べたいヨーロッパ文化。そこから出てきたインプロヴァイズド音楽。初期はフリージャズの影響があったが、だんだんと音数や音量の少ない傾向になっている。

楽器のヴァーテュオーシティは、少なからず、演奏者も聴衆も惹きつけるが、ある程度技術的に行き着いた演者たちは、自分のヴァーテュオーシティを見せ続けることに飽きてくる。チャーリー・パーカーのヴァーテュオーシティがジャズからダンスを奪った、と誰かが書いていた。(すいません。失念です。)アストル・ピアソラのタンゴもコンサートホール演奏会を目指した部分が多くある。

どんなに上手に演奏できても、一つの歌にはかなわないことを演奏家はいつか知る。自分の演奏できる時間の残りがある程度見えてくる。そして自分の才能も否応なく知らされる。天才達のようには行かなくても、聴くこと、待つこと、信じることはできる。そこをよりどころにして、今・ここ・私を大事にしていこう、なんて思った熱帯の夜でした。

そういえば、バールさんと過ごした日々、かれがゆっくり歩き、ゆっくりしゃべり、ゆっくり作業するのにつられて、自分もゆっくりになった。そうするだけで見えてくるモノ、聞こえてくるモノがちがうのだ。自分の考え方、何かに対する反応が違う。忙しく作業しているときは、カラダとココロが分離しているのだろう。必要最低限のエコノミカルな作業。そこに不注意が忍び込むし、求めたモノしか得られない。ゆっくり作業すると「必要」以上の眼と耳とココロを使うことができる。新しい次の芽がほんの少し出ているのさえ見つけることができる。あるいは出てくるのを待つことができる。スローライフとはこういうことを言うのだろう。

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