モケラ道北ツアーその2

「あの詩人は誰だったか?」そればかり頭をかすめ続ける。旭川から留萌に出てそのまま海岸をひたすら北上し稚内をめざす道中は左側がずっと海だ。この岸は、遠くインドネシアから来た海流の終着地だ。わたしがライフワークにしている「オンバクヒタム」(もう一つの黒潮)のラストステージ。インドネシアの地図にない島で見た海流がここで果てる。その詩人はそのことを詩に読んでいた気がする。少し曇り気味の天気のためか海が灰色だ。遠い道のりを想う。

吉田一穂(いっすい)さんだった。厳しい詩をかすかに想い出す。帰ったら詩集を読み返そう。稚内に着くと五井先生がタラバガニ・毛ガニで迎えてくれる。

ゴイッチは美術専攻だが、特殊学級の先生としてずっと戦い続けてきている。モケラ峰子さんも稚内で中学教師をしていて15年前に本人曰く「逃げて」しまった、という想いの深い土地。五井先生は当時から今日まで戦っている。なにしろともかく学校が荒れていたそうだ。カニ漁にまつわるヤクザがらみの商売、なかなか両親が揃わないことなどで整髪に二時間かけて学校に来てもタバコを吸って騒ぐだけ。そんな中、若き峰子先生は音楽室の鍵をなくすことから始め、歌や太鼓で生徒達を巻き込み、生徒達を信じて戦った。同僚のイタヤンと結婚。「国境の海、海峡の空」という結婚式案内状は五井先生が作った。結婚式をした稚内キリスト教会で今日のライブがある。それ以来初めての稚内と言うわけで峰子さんも緊張気味。

戦い続ける人は輪郭がハッキリしていて、視線が定まっている。そんな人たちが多く集まっているのはすぐわかる。教育の現場は想像以上に厳しい。峰子さんも釧路で、卒業式での君が代伴奏を断った瞬間から上司の態度が急変しその後の待遇に直接響いたそうだ。

暖かな柳牧師さんご夫婦(息子さんがなんとベーシスト、数日後札幌のワークショップであうことになる!)の気遣いで順調に準備が進む。出発間際にひらめいて乾千恵さんの書「音」「風」「月」を持ってきたので、それを飾る。この書は今回大活躍する。活け花もさりげなく飾ってあるが、思いのこもったものだった。

おしゃべりを多めにして、というご要望なので懸命に話す。ちょっと話しすぎで音楽への集中が危ない。娘にも指摘される。面目ない。強制労働の韓国・朝鮮人の遺骨収集などもしているということで韓国の音楽を自分なりに演奏した。打ち上げは近くの居酒屋。珍しい魚と熱燗がおいしい。先生達の興味深い話をたくさん聞けた。ともかく初日の幕が開いた。

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