瓢さん

大成さんの通夜・告別式・荼毘が終わった。あっと言う間の二日間。告別式の早朝は「行ってくるよ!」とばかりに猛烈な落雷。瓢さんらしい、とみんなで語った。私のベース(私が献花するときは井野さんがすぐさまベースを代わってくれた)だけでお坊さんもいないスッキリとした式。

瓢さんの十八番「サクランボの実るころ」を弾くと、あちこちからハミングが聞こえる。大成家の女性達が参加しているコーラスグループも二曲歌う。今や大学教授・グラフィックデザイナーなどになった小学校時代からの生徒たち。井野さん・栗林さん・エアジンの梅本さん・長橋由布子さんら音楽関係。ダンサー旗野由記子さん。バール・フィリップスやザイ・クーニンからもメッセージが届いている。なんだか暖かい時間だった。みんなで大笑いまでしていたが、心にあいた穴はどうしようもなく大きい。

私の演奏活動の最初期から応援してくださった。その頃の私の音楽や技術を思うと冷や汗ものだが。仕事も少なく、見通しも無かった時に本当にありがたかった。初対面はアサヒカルチャーセンターのイメージデッサン教室。そこで演奏し生徒さん達が描く。普通の奥様、おじさま達が、瓢さんの指導の元に才能を突然大開花し、賞を取るような作家に変身したりしていて当時大変盛り上がっていた。

イメージ教室ではミュージシャン(65名)・ダンサー(36名)などが数多く「モデル」となっていた。今は無き西武スタジオ200でのパフォーマンスは音楽、ダンス、映像が対等に係わった。今は当たり前のようだが、当時は前例ほとんど無いものだった。井野信義・レスターボウイデュオコンサートでもスライドなどを担当。CDでは「Tokio Tango」(ソロ、LP!もある。)「彩天・coloring heaven」(バール・フィリップス/栗林秀明/豊住芳三郎と)「Tetsu plays Piazzolla」(廣木光一/吉野弘志/田辺義博/古沢良治郎と)「string quartet of tokyo & orchestra」(栗林/廣木/佐藤その他と)「ムオーズ」(ミッシェル・ドネダ/アラン・ジュールと)のジャケットアートを提供してくれた。

1988年には荻窪から湯河原へ移住。アートスペース「空中散歩館」を設立。(walk in the cosmosという英題はバール・フィリップスが付けた。)そこでは私/アルトゥロ・ペノン/高柳昌行/栗林秀明/沢井一恵/高橋悠治/山下洋輔/中川昌三/板橋文夫/バール・フィリップス/ジョエル・レアンドル/ミッシェル・ドネダなどが演奏をしている。沢井箏曲院の栗林作曲ゼミの合宿もあった。私のCDの他では黒田京子「Something keeps me alive」板橋文夫「月の壺」などが録音された。美術出版社から「大成瓢吉の空中散歩」というすばらしい画集がある。彼の活動を俯瞰できる。そこに私もエッセイを書かせてもらった。今読み返してもその通りという感じ。本当に書ききれないほどのことをさせてもらった。本当に多くのことを学んだ。本当に多くの思い出がある。

(空中散歩館は続けていくので湯河原付近にお立ち寄りの際は是非訪ねてみてください。楽しいアートが展示されています。湯河原駅からバス「鍛冶屋」行き、終点五郎神社下車。徒歩7~8分。タクシーでも1000円くらい。)

さて、式で何か言って欲しいと依頼を受けた。お断りするわけにはいかない。思い出を語ったりしたらちゃんとしゃべることが出来ないと思ったので、空想をまぜて短文を作り読ませていただいた。

銀の粉・手の人 瓢さんへ              齋藤徹

その手はいくつの土に触れたろう。
その手はいくつの絵の具をひねり、いくつの絵筆を握っただろう。
その手はいくつの木を、石を、草を、太陽を、海を、月を、祈りをつかんだだろう。
その手は幾度愛する命に触れただろう。

何でもいつでもつかめるように少し丸めた手だ。
ポケットの中では短い黄色の消しゴム付き鉛筆たちが握られていた。
4Bで壁を塗られた暗い洞穴は宙に繋がっていたらしい。
生まれ出たい線や色やカタチは正しくこの手を選び、願いを託した。
その願いは時に強烈で、鉛筆や絵筆は変形し、身体にもひびいた。

手の人のみが知る秘密の合い言葉で命を与えられた線や色やカタチ。
生まれたことにさえ気がつかない彼ら。そしてもっともっとにぶい私たち。
今・ここで、何が起こっているのだ!
うろたえてはいけない。
その手に感謝するのだ。
ありがとう、ありがとう、ほんとうにありがとう。

その手の指紋や手相が一瞬消え、そこから線や色やカタチが顕れ出るのを観たと言う人がいるらしい。
手の人は飽くことなく毎日毎日指紋を消し、名前を消し、謎の布マスクで顔を消した。
線・色・カタチが顕れ出やすくしたいから。
にぶいにぶい私たちにもわかるように届けたいから。

私たちに残されたかすかな手がかりは、まさにその手だ。
その指先には何かアリバイが宿っているはずだ。
その日は、何をつかみ、何を握り、何に触れ、何をなで、何を願ったか。

そうそう、その手の爪垢や指紋には、この世であまり見ない銀の粉がいつも混じっていて、夜明けや黄昏時にきらきら光っていたという噂だ。

それを探し求めて私たちはいつもいつも彷徨っている。
トンネルを通行止めにされた線や色やカタチも彷徨っている。

人生は生きるに価するという信念の銀の粉。

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