ブラジル音楽から考えてみる

ブラジルの歌の作詞作曲のクレジットを見ていると混乱することがある。作詞も作曲もする人が多く、しかもある時は作詞のみ、ある時は作曲のみということもある。どちらが作曲でどちらが作詞か分からなくなってしまうことが多い。シコ・ブアルキもそうだ。シコが作詞をするとなぜか名曲が生まれる。

トム・ジョビンの曲でもシコ作詞だと名曲揃い。エドゥ・ロボがシコの詞に曲をつけるとゾクゾクするようなすばらしい曲が生まれている。トッキーニョもバーデン・パウエルも、ヴィニシウス・ジ・モラエスとの共作時期にほとんどの代表作がある。ヴィニシウスの共作模様は独特で、飲めや歌えや楽しめやの享楽共同生活の末に名曲がドスンと残るそうだ。

「良い詞があるから、良い曲が生まれる」とは、「詞を、言葉を、さらに言えば人生を信じている」ということなのだろうか?シコの詞は複雑な韻をふんでいたり、昔の詩の形式を使っていたり、造語、さらには裏の意味、裏の裏の意味まであるということだ。

独裁政権の時、シコがイタリアへ、カエターノやジルがイギリスへ亡命した。(カエターノやジルの亡命については前回写真で紹介した「トロピカリア」カルロス・カラード著、前田和子訳、プチグラパブリッシングに詳しい、シコの亡命では名曲「オルリーのサンバ」に隠れた意味がある。

あの軽快で楽しい曲にそんな意味があるとは知らなかった。さらにこの曲には逸話があり、外交官ヴィニシウスがこの曲の作者の仲間入りしたくて書き足した言葉だけが検閲に引っかかったそうだ。意味を知らずに外国の歌を聴く時の大きな落とし穴だ。ナイジェリアのフェラ・クティの歌は、すこぶる政治的でヨーロッパではなかなか大きく流通できないそうだが、日本ではオシャレなワールドミュージックとして売られている!)

そのジルベルト・ジルがこの三年間ブラジルの文化大臣をしている。(月給は30万円だそうだ。)文化省さえないこの日本との差は大きい。何年か前、中国地方のある都市で現代美術のイヴェントがあり私も参加した。その時、市長を含めた参加者のシンポジウムがあり、私はジルの話をした。その時、市長は「私は芸術はまったく分かりません。しかるべき地元の人(元有名芸大学長)に任せます。ポピュラーシンガーが大臣とはどうも、、、」と発言。パネラー全員で唖然としてしまった。現代美術館の学芸員が「芸大の学長になるような人は権力争いに勝ち抜いた人でしょう。そう言う人にこれからの新しい美術はリードできるわけがない。」と噛みつく。「忙しい」ということで市長は早々に退出。

韓国と北朝鮮の首脳会談の時、金大中大統領は、詩人高銀さんを同行。首脳会談の席で高銀さんはその朝作った「大同江のほとりで」(http://www1.korea-np.co.jp/sinboj/sinboj2000/sinboj2000-6/sinbj000628/sinboj00062851.htm)を朗読。我が国の首相が重要な会談に詩人を連れて行くことなど想像だにできない。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です