alaska便り6

リハーサルは順調に進む。結局イヌイット系のパーカッション奏者は故郷に帰ってしまった。家族の死のことは、あらゆることを上回ることなのだろう。思い出すのは、CD「八重山游行」録音の時だ。私は沢井一恵さんと石垣島にいた。博多の西尾次男さんプロデュースでデュオのコンサートを二日間。

一日目演奏途中、一恵さんのご主人忠夫さんが熊本で倒れたという情報がはいった。その日の演奏は何か胸騒ぎがあったのか、よいものではなかった。明日は私のソロかな、と覚悟を決めていたら、残って演奏すると言う。翌日の演奏はすばらしく、それがCDになった。宮古島は息子さんが亡くなった場所で、その供養をかねて石垣に来て、演奏をするのだろうと思っていたが、今度はご主人。一恵さんにとって大変な時期でした。

ポーランド・グラツノフでの国際コントラバスフェスから寂しい知らせがくる。私のコンサートとワークショップが予定されていて、日にちも時間も発表されていたのに、旅費の工面ができなかったというのだ。15日が締め切りだったそうだ。残念。

気を取り直してリハーサルを粛々と進める。作曲家も居合わせているから、理想的な環境だ。正直言ってあまり向いていないな~、という感じ。2000年2001年に神奈川フィルと自作をやったときを思い出した。大学から逃げるようにこの道に入って20年、オーケストラの仕事が来た。

自分の準備がまだできていないという感触はあったが、いつまでたっても同じだろう、やれるときやっておこうと引き受けた。とても良い経験だったが、自分がこの世界に向いていないことを感じた。西洋音楽に向いていないということかもしれない。西洋音楽の権化のような存在。分業化が進み、労働組合が進み、指揮者、首席、トゥッティの身分差もある。自分のパート譜しかないし、自分の代わりにエキストラが来ても何も変わらない。演奏後は指揮者だけが挨拶。そのあたりが肌に合わなかった。同じ年に、大学で話をしろと呼び戻された。20年がサイクルだったのか。

リハーサルは、ほんの少しずつ遅く出てくるような共演者にあわせるのがちょっととまどったが、なれればどうと言うことはない。まずは迷惑をかけないように、つぎに、指揮者と共演者と分かち合う分量を増やしていく。こちらがリードするところはリードする。

リハーサルが終わり、部屋に戻りアンゲロプロス「こうのとりたちずさんで」を観る。こういうときかえってゆっくり映画を観ることができるのではと、DVDをいくつか持ってきていた。マストロヤンニ!ジャンヌ・モロー!この映像に音をつけたい。

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