今日は朝9時からフェスティバルの宣伝で学校回りデモ演奏とお話。まず行ったのは日本語学校(と言っても大人のためのではなく、幼稚園~小学校)。日本語を教えることを特徴とした学校で、二回に分けて300名ほどが参加。こんなに多くの子供たちが日本語を学んでいるのには驚いた。
午後は、ドミトリスの縁で、ギリシャ語学校、ソクラテススクールの流れをくむ。ここは高校生。とても反応が良い。リラックスした雰囲気でどんどん質疑応答が続く。教育特に外国語教育では、日本はますます後れをとっている。こういう活動をしている間に、ドミトリスやジョセリンたちとのコミュニケーションが確立していく。私は、いつものようにアンチ・エリートの方向で演奏や話をする。それに対して、先生も生徒も食いついてくる。その問題は教育の現場では大事なファクターなのだろう。
ドミトリスの顔は、チェロのシュタルケルやシェーンベルクに似ている。ちょっとラテンとアジアを足した感じだ。私はどう思われているのだろう? 人は自由だと思っていても、生まれた場所、時間によってこんなに制約されているわけだ。たまたまギリシャに、たまたま日本に生まれただけでこんなに違う。「あたりまえのこと」を疑うことがより大切になってくる。そのきっかけになるのが、音楽だったり、美術だったり、文学だったり、そればかりでなく、日常の人間関係、自然だったりする。疑うことが目的ではなく、信じることが目的。
ひとさまの音楽の話、時差ボケで眠れない頭で少し考えた。自分の作曲やインプロビゼーションなら、全く違うのだろうか?ある意味、イエスだが、ある意味それほどの違いはないのかもしれない。作曲とインプロの差に近いものがある。ピアソラしかやらないグループの時も苦しかったけど、自作しかやらないとき、完全な即興の時はそれほど楽なのか?良い悪いでない、ほかのレベルの話になる。
日本からジャンさんブッキングの情報。難航しているよう。ブッキングのやま場でいなくなったのが本当に申し訳ない。心配。