alaska便り2

時差ボケもあるが、リラックスした雰囲気が気分を助けてくれている。

楽器屋は、多くの弦楽器を扱っている。出てきたのは二年前作られた学生モデルのちょっとましなやつ。店にはチェコのいいのがあるが、レンタルはできないという。しょうがない。こいつと折り合いをつけよう。まず、ネックおよびフィンガーボードを磨く。500~1500の紙ヤスリでだんだんと磨く。時折オイルをしみこませる。これでだいぶよくなる。あとは弦えらび。ついているのはスピロコアというジャズの演奏家がよく使う弦。音がよくのびて良いのだが、堅く、騒ぎすぎの音だ。私のいつも使っている裸のガットはこの楽器にはムリ。そこで昔好きだったオリーブという金属巻きのガットを張る。指にも優しい。

ギリシャのマンドリン奏者ドミトリスはかなりの音楽家だ。マンドリンの現代音楽では第一人者。正確にとんでもなく複雑な音符を楽々弾きこなす。100曲以上を委嘱してきたという。ルチアノ・ベリオが死んだとき、取りかかっていたのが、彼のための曲。マンドリン・ソプラノ・ストリングスだったそうで、とても残念ということ。

現代音楽フリークかというと、そればかりでなく、ギリシャの民俗音楽と(特に合唱)とのコラボレーションなどを積極的にやっている。来年はヨーヨーマの企画にも参加するそうだ。注目すべき音楽家だ。

ステファノ・ハーゲンベルグさんとディナー。曲を送ってこない作曲家。いかにもドイツ人という風貌。後、二曲明日渡すということです。は~。作曲家もたいへんですね。ひとさまの曲を弾くことをほとんどやっていない私にはオーマイガット・ストレスフル。なるようになる、それしかない。その作曲家の頭に中に入ったり、作曲家の頭と同化しなければならないのが、ニガテなのだろう。何時間か、何日かはその身体になってしまうのがイヤなのだ。まあ、フォローしてみよう。気づかなかったものが見つかるかもしれない。

ジョセリン女史が私のプレイをみたのは、昨年のニューヨーク、アジアンソサエティ。沢井一恵さんと西村朗作曲の「かむなぎ」をやったときだ。「かむなぎ」は、本来17絃とパーカッション(ティンパニを含む7つか8つの打楽器)のためにかかれた。その打楽器のパートをベースで弾いたのだ。というか、何とか弾いて、と言われて、調弦を考え、プリペアードし、スティックを使い演奏したのだ。最初は菊池奈緒子さん、次に福原さん、そして一恵さんだった。ベースでへの編曲もやっとこなれてきていた。これもひとさまの曲だったわけ。もともと韓国の長短(チャンダン・リズム)を使っていて、楽譜を読むと、西村さんが何をしたいか、何を元に書いたかが、わたしには見えた。韓国のリズムではかなり苦労したからわかるのだ。

一恵さんとの演奏は何が起こるかわからない。この曲でもいろいろな逸話がある。もっとも印象的なのは、一恵さんがどんどん早く演奏することだった。韓国リズムを活かす早さではなくなっている。私に求められているのは韓国リズムを知っているから、とばかり思っていた私は抵抗があった。しかしやってみると、その早さの方が、この曲には良いのだ。作曲家の意図さえ超えて、あるいは、作曲家の本当の動機を演奏してしまうのが一恵さんなのか。

その演奏がきっかけだったのだから仕方がないのだろうか。今回は、ドイツで勉強してきた韓国人作曲家・ソウル大音大の総長 リーゴンヨンさんの曲(ジョセリンのカヤグムも入っている)もある。長短が見え隠れするが、西洋の現代音楽。ちょっとユン・イサンの香りがする。
私のことを知ってか、アドリブのパートもあるが、2分くらいだけ。ステファノの曲ではむこうもむこうなら、こっちもこっちで、いろいろ要求しようと思う。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です